我 小鸟 铃铛 - 童谣女诗人金子作品解读
わたしと小鳥(ことり)と鈴(すず)と
わたしが両手(りょうて)をひろげても、
お空(そら)はちっとも飛(と)べないが、
飛(と)べる小鳥(ことり)はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走(はし)れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音(おと)は出(で)ないけど、
あの鳴(な)る鈴(すず)はわたしのように、
たくさんなうたは知(し)らないよ。
鈴(すず)と、小鳥(ことり)と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
主要语法点
ひろげても
とべない
ちっとも
走れない
が
は
金子 みすゞ
本名金子(ほんみょうかねこ)テル(てる)
学歴(がくれき)〔年(とし)〕大津高女(おおつこうじょ)〔大正(たいしょう)9年(ねん)〕卒(そつ)
経歴高等女学校(けいれきこうとうじょがっこう)を出(で)て下関市(しものせきし)の上山文英堂書店(かみやまぶんひでどうしょてん)で働(はたら)きながら童謡(どうよう)をつくる。「童話(どうわ)」や「赤(あか)い鳥(とり)」に投稿(とうこう)し、一部(いちぶ)で才能(さいのう)を認(みと)められた。大正(たいしょう)15年発行(ねんはっこう)の童謡詩人会編(どうようしじんかいへん)の童謡集(どうようしゅう)には北原白秋(きたはらはくしゅう)、野口雨情(のぐちうじょう)らと並(なら)んで作品(さくひん)が一点収(いちてんおさ)められたが、生前(せいぜん)は広(ひろ)く世(よ)に知(し)られることはなかった。23(23)歳(さい)で結婚(けっこん)し、一女(いちじょ)をもうけるが、離婚後(りこんご)の昭和(しょうわ)5(5)年(ねん)に自(みずか)ら命を絶(た)った。6年間(ねんかん)に500余編(よへん)の童謡(どうよう)を書(か)き、代表作(だいひょうさく)に「大漁(たいりょう)」「わたしと小鳥(ことり)とすずと」「繭(まゆ)と墓(はか)」「夢売(ゆめう)り」など。57年矢崎節夫(ねんやざきせつお)の尽力(じんりょく)で「金子(きんす)みすゞ(みすくりかえし)全集(ぜんしゅう)」(全(ぜん)4巻(かん))が刊行(かんこう)され、一躍脚光(いちやくきゃっこう)を浴(あ)びた。平成(へいせい)8年度(ねんど)の小学校(しょうがっこう)の国語(こくご)や道徳(どうとく)の教科書(きょうかしょ)にも登場(とうじょう)。
金子みすず(Misuzu Kaneko)出生于1903年,初中毕业。一边在书店做工,一边写童谣。在童话和红鸟杂志上发表过一些作品,其才能被认可。在大正15年即1926年,她的作品和北原白秋、野口雨情等并列在当年发行的童谣集里。但是,她的作品未能广泛流传。23岁结婚,育有一女。1930年,她离婚后自杀了断了自己年轻的生命。6年时间里写了500多篇童谣,代表作有【大渔】【我小鸟铃铛】等。1957年经童谣诗人矢崎节夫挖掘和介绍了她的作品,一举成名。其作品曾入选到日本小学校的国语和道德教科书里。
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