【日语名言警句随身听】幸か不幸か
人は、不幸の時は一を十にも思い、幸福の時は当たり前のようにそれに馴れて、十を一のように思います。
●瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう:1922年~)小説家・尼僧。徳島県生まれ。
コメント:
毎日が平和で豊かすぎるため、かなりのよい事が起きないと幸福はなかなか感じられません。その分人は不幸に敏感になるのです。一度、地獄を体験し、それからこの社会に戻ってくれば、どれだけ幸福かが分かるでしょう。それこそ十の幸福を十億ぐらいに感じられるかも知れません。
基本語彙
馴れる【なれる】②(自一)习惯,习以为常
尼僧【にそう】⓪①(名)尼姑,修女
平和【へいわ】⓪(名・形動)和睦,和平
敏感【びんかん】⓪(形動)敏感,灵敏
地獄【じごく】⓪③(名)地狱,受苦的地方
戻る【もどる】②(自五)返回;还原
解说
1.「一を十にも思う」可看做惯用语,意为“夸大”、“看重”。其相反的说法就是「十を一のように思う」。
◇難関なんかんにぶつかったとき、一を十に思ったら、なかなか乗り越えられないでしょう。/遭遇困难的时候,如果夸大困难,就无法战胜它了。
2.「その分」连语,意为“相应地”。
◇景品けいひんなんか要りません。その分安くしてください。/赠品之类我不需要,就将相应的那部分让利给我。
3.「どれだけ~だろう」句型,表示感叹,「だろう」前多接形容词、形容动词,意为“多么……”。
◇子供が無事だと分かったとき、私はどれだけ嬉しかったでしょう。/当得知孩子平安无事时,我是多么的高兴啊。
译文:
人们把芝麻大的不幸放大成西瓜,而在幸福的时候却习以为常,把西瓜大的幸福当作芝麻。
●濑户内寂听(1922年~)小说家、尼姑。德岛县人。
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